プロフィール

はじめまして、Kumiです!
ブログへ訪問ありがとうございます。

以前は病気やケガが絶えなかった人生。
な、なんと6回もの全身麻酔の手術を経験。
50代で骨折(右上腕骨近位端骨折→右腕の上方かなり太い所)をきっかけに
それまで健康オタクだったものの

 

アメリカの予防医学の権威ドクターに出会い
予防医学に目覚め・・・。

 

  • 4ヶ月で8㎏減量に成功
  • リバウンドリバウンドなし(BMI19前後維持)
  • 朝の目覚めスッキリ!!
  • 疲れない(疲れるけど直ぐに復活)
  • 風邪すらひかない
  • 今では25年ぶりにスキーを再開し夢中
    いくつまで出来るか?スキーの為にニセコまで行っちゃいました)
  • 薬を手放す

真剣に健康寿命100才を目指して医療費を削減。(社会貢献)
介護や寝たきりにならない。
元気なシニア(この言葉好きじゃないけど)の仲間を増やす。
心身共に美しく楽しく年を重ねて健やかに人生を
全う(ピンピンコロリ)したい。

今、人生で一番健康で元気!!
パワフルでハイパフォーマンス

人生が180度変わりました。

 

フレッシュ野菜

でね、わたしがめちゃくちゃ栄養学を勉強して3食の食事にこだわったとか
オーガニックの食材を使った手の込んだ料理をしているとか
外食を頑なに一切しないとか
毎日のようにジムに通い体を鍛えたとかではないんです。

 

まぁね。出来る方はやったほうが良いです。もちろん。
その方が結果も早くでる。

わたしは出来なかった…。

まず、料理がそんなに得意でない。

わたしはバツ1で、二十歳の時に結婚しました
それまで家事は一切したことが無かった。

もうね。本当に大変でした。

OLでフルタイム勤務でしたから
お勤めが終わってから買い出しをして
食事をつくるのだけど・・・
やっぱり慣れてないと時間も掛かるし
手の込んだものを作っても美味しくない。

あんなに時間を掛けて作ったのに
マズイって・・・。

今から30年以上前のことですから
お惣菜なんてそんなに売って無かったし
冷凍食品も無かったと思います。
インスタント食品もね。

いっきに料理が嫌いになりました。(笑)

栄養学も苦手なんです
今から思えば家庭科を
もっと真面目に受けておけばよかった。
あのカタカナの単語が苦手(汗)

カルシウム?ビタミン?ミネラル?
ビタミンって、いったいいくつあるんじゃい!!

運動を物凄く頑張った訳でもない。

今となっては、スキーが楽しくて
出来るだけ長くやりたいので
筋トレ頑張ってますけども
元気になって体調が整ったずっと後の事です。

8kg減量した時はワンコの散歩程度でした。

確かにここまでなるのは紆余曲折ありました。

ガンの再発・転移は絶対イヤ(乳がんを患ってます)
健康になりたい、丈夫な体になりたいと思い
ネットで調べたり、TVの情報番組を
食い入るようにみて実践。

まさしく健康オタク化してました…。

が~~~!!
あっちとこっち言ってることが違うじゃん。
何が正しいの?えっっっ~~(汗)
まさしく情報過多。

で、出会ったのがアメリカ予防医学の権威のドクター
アメリカは公的な保険制度がないので
最先端の予防医学が有るんです。

50代で新しい事を学ぶ事って、
まぁまぁ大変でした。

でも、やると体が答えてくれるんです。
少しずつで良いのです!!

気づいたら元気!!みたいな…(笑)

私の師匠をbaby-stepで良いんだよっと
いつも励ましてくれました。

出来る人は一掃してやって下さい。
その方が結果は早しし
ビックリするくらい変化を体感できるはず。

ノロマなところと
貧乏性なので
私の場合は前者でした。

仕事も家事も本当に忙しいですよね。
やる事が死ぬほど有るし
家族も大切!50代って子供が手が離れるかなぁ~~と思ったら
(私にはいませんけど)
親の介護があったりして…。

ストレス満載!!

 

 

やっと取れた休みが寝てばかりとか

毎朝、寝たのに寝た気がしない起きられない

寝たのに疲れが取れない

何をしても疲れる

遊びに出かけたいけど翌日が休みじゃないと辛い

仕事も家事も気力・活力が沸かない

ついイライラしてしまう

なかなか寝付けない

常に何だか体がダルイ

なかなか痩せられない

リバウンドを繰り返してしまう

年々齢を重ねるほど太ってしまう

体力の衰えを感じる

顔色・顔つきが悪い

不定愁訴・未病状態

健康診断を受けると毎年数値が悪くなる

病院へ行けば薬が増えて、どんどん医療費がかさむ

将来、認知症になるのが怖い

 

こうやって思ってる人、苦しんでる人
めちゃくちゃ多いなと思うんです。

誰よりわたしがそうだったから。

なので、わたしは少しでも
病気予備軍の人を減らしたい

将来、認知症になる人を減らしたい

医者に言われるまま薬を飲み続けている人を減らしたい

人生100年時代!!50代から健康で何でも楽しんで
チャレンジする人を増やしたい

人生の主役は自分なのだらら
まだまだ思いっきり楽しむ!!

って人を増やしたいと思って
ブログやメルマガを発信しています。

 

このブログでは

 

  • 50代からでも元気にワクワクイキイキと楽しむには
  • 出来るだけお薬に頼らず生きるには
  • 健康寿命を少しでも伸ばすには
  • 介護や寝たきりにならない為には
  • ピンピンコロリを目指すには
  • 同じおもいの仲間をつくる

なんかをお伝えします。

 

根暗な過去(幼少期)

 

今でこそ元気でコミュニケーション能力も高そう!?
に見ますが・・・。

まったくそんなことはなくて

生まれたのは東京の外れで・・・。
小学1年までそこで育ちました。
学校はチャイムが鳴ったから
家を出ても間に合う!

超近所!!

が、1年生の時
父方の祖母に熱望されて
父の実家の隣に家を建てることになり
神奈川の田舎にお引越し

そりゃ~ね。祖母の家へ
時々遊びにも行きました。
泊りにも行きました。

でも、住むのなると
話は別!

まるでトトロの世界(笑)

な、なんと!バス通学
(サツキちゃんだってバスじゃない)

カルチャーショックでした!!
バ、バス!?

短い時間でも
忘れ物を取りに行けた私は
持ち物を揃えるという
概念を持ってなくて

通信簿に良く書かれてました。

〔良く忘れ物をするお子さんですね〕・・・

この頃から根暗?陰キャラ?とでも
言いましょうか・・・。

転校生な事もあいまって
人とあまり口をきがず
心の中でブツブ言ってました
ああじゃない、こうじゃない。

暗かった~~。
小学校の頃から付き合いのある
友人がいるのですが

「おとなしかったよね~~Kumiは子供の頃」と言います。

校庭の隅の花壇の淵に座って
みんなが遊んでいるのを見ているような子でした。

そして、そんな時、校長先生に言われた一言

「あなた、顔色悪いね~~」

校長先生に話しかけられる事なんて滅多にないから
今でも鮮明に覚えています。

そして父に養命酒をキャップ半分飲まされていた事も
覚えています。

これといった病気はなかったものの
病弱だったのでしょうか?
幼過ぎて理由は覚えてないのですが。

 

ずっとイジメられてた中学生時代

 

小学3年生くらいから
足が速くなりました
速くなったと言うか
速い事に気づきました。

学年ではいつもトップ

そして中学で陸上部に所属しました

陸上

成績は左程良くなかったですが
足は速かった。

内申書には
○○大会〇位というように
試合の成績が書ききれない程でした。

同じ陸上部で凄く仲の良い友人が出来ました
いつも一緒にいたし、
お互いの家を泊まりあうなんて事も・・・
私は勝手に親友だと思ったました。

とても頭が良くて、快活で
背は小さかったけど
それは可愛い子でした
大好きでした。

が、ある日その彼女からイジメられる事

何か誤解が有ったのだと思います。

想像もつきました
わたしが発した一言に
悪く尾ひれはひれをつけて
伝えた子がいた(確認して欲しかった)

私たち本当に仲が良かったので
嫉妬もあったのではないかと思います。

それから高校1年が終わるまで
イジメられ続けました。

高校生まで?
そう運悪く彼女と同じ高校を受験して
同じ高校に通う羽目に

彼女が高校を1年で辞めるまで
ずっとイジメられてました。

本当に辛かった
イジメの内容までは
思い出すのも辛いので
書きませんが・・・

暗黒の時代でした。

でもね。思います。
イジメる側でなくて
イジメられる側で良かったと

50代になって
数回中学の同窓会をやってますが
イジメていた人は出席できないですもの

そして私、よく頑張った!!
褒めてあげたい(笑)

 

考えてみればこの頃からおかしかった

 

高校時代、彼女が学校を辞めてから
楽しい日々を送っていました。

原チャリ(原付バイク)の免許を取ったら
行動範囲が広がり新しい世界が・・・
今では考えられない所まで行ってました。

後に子宮腺筋症と病気になるのですが

考えてみれば高校3年生頃から
生理痛がひどく
よく保健室へ行ってました。

その頃はお腹に電気のマットみたいな物で
温めて横になるだけなのですが。
月に1度行くから養護の先生に
「そろそろ来る頃かと思った」と言われるくらい。

考えてみればこの頃からおかしかったのかも
わたしの子宮・・・。

 

ストレス満載だった!営業職

 

仕事はOLを経て営業職をするのですが

これがまたハードで

毎月毎月数字と締切に追われる
朝、出勤して夜は7~8時まで働き
帰って食事をし、お風呂に入り寝るだけ
その繰り返して・・・。

週休2日でしたが、
お客様とアポイントメントが取れれば働く。

休みでもずっと寝てました
そして夕方から活動するみたいな。

疲れてました
毎日取れない疲労感
寝ても寝ても寝足りない
常にだるい。

でも、遣り甲斐もあったんです
頑張れば成績も上がるし給料も上げる
色々な方と会えるのは楽しかった!

が、時間も無くなる

女性が多い職場だったので
女性特有の人間関係にも
かなりのストレスがあったと思います。

イライラしている事も多かった

勤続8年頃
新人さんを指導するポスト
トレーナーに任命され
勤務地が遠くなり

研修や新人同行をしながら
自分の営業成績も上げ
既存の担当顧客のアフターフォローもをするという

過酷でした。

この頃から体調に異変が・・・。
生理になると足が浮腫み激しい腹痛
痛み止めでやり過ごしてました。

1度婦人科へ行ったのですが
通えなかった
時間が無かった
自分の体を後回しにしてしっまた。

3年の任期を終え
元の営業所に戻った時は
体がボロボロだった気がします。

このまま、この仕事をいつまで続けることが
出来るだろうか・・・一生なんて無理。

そんな風に思うようになっていました。

 

癒しの世界へ

初めて受けた
アロマボディートリートメントに
虜になってました。
“癒される~~~”(笑)

アロマテラピー

今、思うと只々疲れていて
私の体に沁みいったって事だなと
思うのですが

色々なところに受けに行きました。
そして人を癒す仕事に就きたい!と、
思うようになっていました。

 

アロマセラピスト
リフレクソロジー
グラデーションネイル と
資格と取り。

営業職を退職

恵比寿のリラクゼーションサロンに1年務め

念願だったリラクゼーションサロンを
隣町でオープン。(フランチャイズですが)

施術をしているうちに
段々、欲が深まって
もっと根本的に改善出来ないか?と
思うようになっていたのです。

リラクゼーション目的ですから
凝ってるところを揉んだり叩いたりすれば
何となくその場で血流が良くなり
楽にはなるんですよ。

時々「もっと強くやって!」とか言う人いますけど
逆効果、強くやると脳が防衛本能を起こすので
どんどん固くなってしまう
施術する側も辛くなる

悪循環!!

で、出会ったのが
篠崎式イネイトリボーンセラピー。
美容整体です。

篠崎式イネイトリボーンセラピーは
日本で初めてエビデンスが認められた
根本療法です。

体の歪みをとって
根本的に症状を取り
そのうえ小顔になり
プロポーションも整う

私自身が施術を受け感動しました。

技術を習得し
自宅マンションで開業し
現在に至ります。

 

ナ、ナント!!6回の全身麻酔の手術

 

1回目は結婚していた時の流産でした。
20才でした。

ただのバカです
本当に無知でした。

妊娠に気づかず
気がついたら流産してました。
精神的なショックは大きかったです。

その後、流産がきっかけというわけではないですが
7年後に離婚。

後の5回はすべて40才を越えてからです。

30代でわっかった
‘子宮腺筋症’という病気
はじめは個人院の婦人科へ行きました。

そこでは‘子宮内膜症’といわれ
治療をしていたのですが
経過が思わしくなく・・・。
その先生に少し違和感を感じていたところ

看護師の友人に勧められて
総合病院の婦人科へ
そこで‘子宮腺筋症’と判明

似ているようで違う病気
薬物療法を始めました。

が、治療といっても
この病気は治りません。
その頃は進行を遅らせるだけでした。
(今はどうなのかなぁ?)

それなのに健康保険のきかない
高額なホルモン療法
そして副作用に苦しむ日々

それでも営業職をしている時は
良かったです。
お金があったから

でも、退職をしてアルバイトをして
学びに重きを置いて過ごしていたわたしには
治らないのに高額な治療を受けている事に
疑問を感じて治療をやめてしまいました。

何年か後には毎月の生理は激痛、大量出血。
七転八倒の痛さで寝込む事など日常茶飯事

出血も多いので寝る時は布団の上にビニールを敷き
その上にバスタオルを敷いて寝ていました。

あの時は、世に出ているナプキンを創ってくれた
企業に感謝したものです。
(のちに少し考えは変わりますが)
あの吸収力・・・凄い!!(笑)

昔の人はどうしていたのだろう?
いつも思ってました。

余談ですが・・・
大昔は枯葉・砂・灰→
布→丁字帯+和紙→脱脂綿、ガーゼ→
ナプキンと進化を遂げたらしい。

‘子宮腺筋症’が原因で貧血がひどくなり
(ヘモグロビン値が基準の半分以下)
心臓にも負担がかかるという事で
子宮摘出手術

一応、出産を望んでいたので
40才まで粘りましたが・・・。
あえなく断念。

その数年後に
何だか時々ボォーと熱くなる
更年期?と婦人科の先生に相談したところ

薬を処方するが
その薬が乳がんのリスクがあるので
必ず乳がん検診して欲しいと
その日のうちに乳がん検診の予約を・・・。

で、ナント初めての乳がん検診で
乳がん発覚!!

驚きました~~
当たり前だけどショックでした。

これって、運が良いのか?
悪いのか?どっち?!

イヤイヤ。確実に運が良かった!!
凄く小さいうちに見つけたのでね。

婦人科の先生には感謝です。

ここまでが40代までに経験した
全身麻酔の手術。

ここまでくると
もう健康オタク化してました(笑)

ガンの再発も転移もイヤでしたから・・・。

そして50代で初めて骨折をするという(汗)
右腕の骨頭の直ぐ下辺りの太いところ

ハッキリ言って骨折をなめてました。
本当に痛かった。
折った時は右腕が自分の腕じゃないみたいに
勝手に跳ね上げある

痛くて痛くて悲鳴をあげて泣いてました。

実は旅先、しかも元旦でした!
田舎だからなのか元旦だからなのか
救急車は来る気配はない
1時間待ってようやく・・・。

で、受け入れ可能な病院がない
救急車の中で1時間・・・もう悪夢か!!

病院にたどり着いたものの
そこで手術が出来るわけでもなく

「地元の病院で診てもらって!」と
レントゲン撮って骨折と分かったら
三角巾で腕を吊るして
痛み止めの薬を処方されておしまい。

翌日、自宅に帰宅するも
お正月なので病院は休みで
1月4日から診療開始・・・。

 

その間、痛くて
体の自由はきかず
運転も出来ない
家事も出来ず
寝返りさえも出来ない。

さ、更にですよ
やっと1月4日に診察を受けたものの
「手術ですえね」
「チタンのプレートを入れます」

だ、だけど手術室が空いてないから
速くて1月14日って~~
エッ!本当ですか?)
(それまでこのまま?)(涙)

 

骨折をしてから2週間放置ですよ。

今、思いでしても辛かった~~。

それまでは開腹術が
一番辛いと思ってたのですが
それを越えました。(笑)

そして、何もしないで
ゴロゴロするしかなかったし
楽しみは食べる事だけだったし
周りが甘やかすので
スィーツ、スナック菓子食べ放題!!

そして8kg太るという・・・。

念のためといって調べた
骨密度は同世代の73%しかなく

だいぶショックでした

この頃からでしょうか
予防医学に興味を持ち始めたのは・・・。

 

アメリカの予防医学の権威との出会い

骨折をする少し前から
お仲間の整骨院の先生と
予防医学についてやガンの再発や転移の
確率などについて話すようになり

予防医学に興味がありました。

そんな時ボォーと
InstagramだったかFacebookだったか

「アメリカの予防医学の権威が
 最先端の予防医学・自然療法を教えてくれる」

「科学的、臨床的、実践的な根拠に基づいた
 正しい健康哲学を日本に広めたい」

というのを目にしたのです。

私はアメリカの医療事情は
営業の仕事をしている時から
しっていましたし

日本の予防医療は何年も
送れている事を知りました。

自分が健康になるだけでなく
人にそれを伝える事が出来る!!

  • 間違ったダイエットからおさらば
  • 日本の医療費の削減を実現
  • 免疫力を高めるからだ作り
  • 仕事の生産性をアップ
  • 正しい健康情報を大切な人に!

 

この人から学びたい
正し情報が知りたい

何よりも私自身が健康になりたい
そして人生を変えたいと
思ったのです。

 

人生がまったく変わりました

もうね。50代からの学びは大変!!
でもね。甲斐がありました。

毎日、あんなに疲れてドンヨリしていたのに

 

出かけたいけど翌日が辛い

仕事をしていてもすぐに疲れてしまう

朝はなかなか起きれない

太ってきたけど年だから仕方がない

健康診断を受ければチェック項目がどんどん増えていく

親の介護をしていると自分も認知症になるかも?

自分には子供が居ないけど・・・どうする?

あてもなく不安で何だかイライラしていました。

ほんの少し前のことです。

でも、今は朝の目覚めはスッキリ!!
それこそ初めは毎朝体重測定していましたが、
今では時々で大丈夫

それは仕事をめ―いっぱいすれば疲れるし
1日じゅう遊べば疲れます。

が、一晩眠れば回復します。

母の介護は大変たけど(絶賛介護中)
時々イライラもして
涙も出ちゃうけど
母が愛しい・・・。

精神的にも元気!!
何だかいつも楽しくて!!

あ~~。今までで一番元気かも!!
幸せだなぁ~~。
と、日々感じています。

 

Baby-step!!ノロマな私は遅かったけど

私はたぶんこうなれるまで
少し時間が掛かったと思います。

そもそもノロマなんです。
そして貧乏性。
頭も決して良くない。

学べば学ぶほど
あれもこれも私には出来なぁ~~い!!
栄養学!?私には難し過ぎる・・・。
と思ってました。

そんな時、師匠は言います。

baby-stepで良い。
あなたは今のままで充分だ。
あなたは愛に包まれている。

今ならわかります。
この言葉の本当の意味を・・・。

きっと、どんどん出来るなら
やった方が良いです。
その方が良いです。
結果が早いし変化をすぐに実感できるから

でも、いいんです。
自分のペースで納得しながら
誰とも比較しない
自分を信じれば良い
プレッシャーに押しつぶれなくて良い

少しづつ出来る事からやりました
ちょっとの変化でも喜んで
ひたすら前向きに続けました。

無駄な経験なんてない
失敗なんてない
発見・気づきがあるだけ!!

わかっています
そうは言ってもやらなければ変わらない
変えられるのは自分だけ・・・・。

 

人生100年時代・・・残りの人生をどう生きるか?

50代に差し掛かると
これからどう生きたいか?
残りの人生をどう過ごすか?
変な話どう死にたいか?

考えるようになりました。

特に母の介護はわたしに大きな影響を与えたと思います。

わたしには子供が居ません
わたしが母の介護をするように
わたしをみてくれる人はいないのです。

わたしには1人だけ姪がいますが
彼女に負担を出来るだけ掛けたくない。

なにより・・・

私!!まだまだ、やりたい事も行きたいところも
沢山あるんです。
まだまだ楽しみたい!!(笑)

で、ピンピンコロリしたい!
寝たきりになったり
ボケたりしたくない
(ある意味もうボケてるとよく言われるのですが)
薬臭い病院で最期を迎えるのはイヤなんです。

「人生、楽しかったぁ~~!」
「幸せな人生だったぁ~~!」
と、言いたい。

その為には何が必要か?
もちろんお金も必要でしょう
でも何より健康じゃないかと・・・・。

誰でも知っているはず
健康はお金じゃ買えない!!

わたしがそうだったように
50代にならないと気づかない
イヤ、気づいていたけど
出来てない。

大きな病気をして
初めて身につまされる

いいと思います。上等です!!(笑)
気づいたのだから

50歳でも60歳でも70歳でも
遅いって事はないですから

もちろん早いに越した事はないですけど
若いと気づけませんものね。(笑)

セカンドライフを元気に楽しく幸せに過ごす為

劣等感満載
自己肯定力低くて
ノロマで貧乏性
病気ばかりしてきた
わたしにも出来ました。

人生100年時代のセカンドライフを
痛いより予防して
治療費にお金を掛けるより
予防に掛けて(治療費よい断然安い)
老けない、ボケない、薬に頼り過ぎない
病気に負けずに健康寿命を延ばしませんか?

元気でハッピーな人生にしませんか?

baby-stepdで良い
ただ何もしなければ変わらない
変えられるのは自分だけ!

そして同じ思いの仲間を一緒に作りませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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